2013年鑑賞映画作品/41-50 感想リスト

ストレイト・ストーリー』……デヴィッド・リンチ監督。永らく絶縁していた兄が倒れたことを知ったアルヴィン・ストレイト老人が、兄と会うために、ひとりトラクターにまたがって500キロという旅路を行く姿を描く、実話に基づいたロード・ムービー。なんとも不思議な、のんびりとした作品だった。この独特の悠長さは、長い人生を経たストレイトと、彼の乗るトラクターの歩みの速さだ。彼は、道中で出会う人々に語る様々な言葉には含蓄に満ちているが、最後の最後には言葉を介さないところが、この映画の偉いところ。また、劇中に描かれる、我々もよく経験するところのコミュニケーションの難しさを表す描写もよかった。

デモリションマン』……マルコ・ブランビラ監督。シルヴェスター・スタローンウェズリー・スナイプス主演のSFアクション。妙にクリーンな未来社会像が笑いを誘うし、アクション・シーンも見応えがあったけれど、ちょっと尺が長すぎかな。40分近くスタローンが出てこないのは、さすがに間が開きすぎだって! 90分に収めてくれれば、スピード感もより出ただろうに。それにしても、グレン・シャディックスはホントに画面をかっさらっていくなァ。

とある飛空士への追憶』……宍戸淳監督。犬村小六による同名小説を原作とした劇場用アニメーション。画それ自体は悪くないけれど、全体的に演出が散漫で、どこに力点を置きたいのかよくわからない。原作小説からの諸々の変更を加えること自体はよしとしても、それも半端だし、明らかに1本の作品として導入部分を失敗してるよ。映画版に限れば、身分差別に苦しんでいることではなく、腕は良いが撃墜任務に嫌気が差している主人公の日常のほうをむしろ描かないと、彼のとある台詞にグッとこようにもグッとこれないし、そもそも特別任務を任されるだけの凄腕としての説得力が欠けてしまう。そして、彼に主眼をおいて、ヒロインである皇女ファナの日常シーンとかカットして──皇女としてのファナの存在は新聞なりに留めておいて──しまえば、よりスマートなジュブナイル的作品になったんじゃなかろうか。現在のファナよりも回想シーンに登場する子ども時代の彼女のほうが演技が巧みだなぁと思っていたら、そちらは諸星すみれが演じていた。そりゃ巧いはずだよ。

ゴーストライター』……ロマン・ポランスキー監督。元イギリス大統領の自叙伝を執筆することになったゴーストライターが、政治的策謀の秘密に迫ってゆく姿を描く。ホラーやオカルトにおける稀覯本を巡る物語──ポランスキー作品では『ナインス・ゲート』がそれ──を、政治の世界に移したかのような作品。暗い陰謀と、その秘密に抗えぬままに近付いてしまう主人公の心情を映すかのような、不穏な画作りと音の演出が素晴らしいサスペンス映画だった。

ロケッティア』……ジョー・ジョンストン監督。二次大戦前夜のアメリカを舞台に、背負うと空を飛べるロケット・パックを偶然手に入れた青年の活躍を描く冒険活劇。見せ場であるアクション・シーンのSFX(ILMが担当)が見事で、とくにやはり“ロケッティア”の飛行シーンは、空を飛ぶことへの高揚感とアクションのアイディアに溢れており出色の出来。ディズニー制作ながら、物語の舞台となった時代にディズニーが作っていたとある戦意高揚映画に対する揶揄──と思われるもの──を紛れ込ませていたり、悪役を楽しそうに演じるティモシー・ダルトンに楽屋ネタを言わせてみたりと、ところどころにスパイスが効いていて面白い。爆発とジェニファー・コネリーも美しい。

『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事(デカ)!』……アダム・マッケイ監督。ハリウッド映画的には脇役という2人を主人公に据えたアクション・コメディ。着想と、意外にもアクション・シーンの出来が凄いところまでは良いのだけど、中盤あたりから途端にテンポが悪くなってしまい残念。基本的にオフビートな台詞ギャグの応酬ってのがネックになったか(おかげで映画が一応テーマとした社会問題がブレてしまっている)。90分以内の尺でやってくれたらもっとさっぱり楽しい映画になったのではないだろうか。

『叫』……黒沢清監督。奇妙な連続殺人事件を捜査する刑事が、彼の前に現れた“赤い服の女”の狂気に巻き込まれてゆく様子を描く。幽霊──というか妖精のようだった──描写も非常に特異な、なんとも奇妙な映画だった。役所広司の演じる刑事をはじめとした人々の抑圧した記憶を巡る物語でもあるので、赤い服の女はさながら東京という集合的無意識に住まうイドの怪物とでもいおうか(同時に、東京という都市に向けられた視線には、押井守の描く東京像に近いものがある)。

テイク・シェルター』……ジェフ・ニコルズ監督。カタストロフの現前が夢に現れた男の不安と狂気を描く。劇中に精神科医が出てくるように、多分に精神分析的なイコンが散見される映画だった。彼が意固地になって作るシェルターを母の胎内だととらえるならば、本作は彼が母胎回帰願望を叶えつつそれを脱するという通過儀礼の物語だといえる。彼が感知する破滅の前兆(同時に、彼の幼い娘が耳が不自由であることも重要だ)を思い出せば、彼はまだ完全な言語世界の住人ではない──すなわち「子ども」である──と考えることが出来る。しかし本作が面白いのは、その成長が果たして本当によいことだったのかと疑問を投げかける点だ。こればっかりはネタバレになるので観ていただくほかない。見事な心理サスペンス映画だった。

リンカーン』……記事参照>>http://d.hatena.ne.jp/MasakiTSU/20130420/1366457025

ボディ・ダブル』……ブライアン・デ・パルマ監督。ヒッチコックの『めまい』や『裏窓』を髣髴とさせるサスペンス映画。ヒッチコック映画が暗にそうであったように、本作は不能の主人公が事件とヒロインの存在によってそれを回復するという物語だが、本作はそれがほとほと直接的に描かれるので、その身も蓋もなさにはちょっと笑ってしまった。いっぽうで、レンズの向こうにある虚構性を暴くような本作において、深読みとは思うけれども、ちょっと意地悪にも見えるスタッフロール付近に映されるとあるシーンが、なかなか意地悪な感じで味わい深かった。
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